Radfahrers Nachtlied

ドイツの自転車競技選手・アンドレアス・クレーデンを中心とした自転車ロードレースと、極々たま~にクラシック音楽やその他のテーマに関する雑文

エゴン・ヴェレスの交響曲第一番

ロードレースがシーズンオフなので今回は久しぶりに(こちらに引っ越してからは初ですが…)クラシック音楽に関する話でも書いてみたいと思います。
ここ最近妙にハマっていたのはエゴン・ヴェレス(1885-1974)の交響曲でした。
このヴェレスという作曲家は、1885年にヴィーンに生まれ、シェーンベルクに対位法を師事しているそうですから、世代的にも境遇的にも新ヴィーン楽派と近い関係にあります。
ユダヤ系であったためナチの台頭後はイギリスに渡り、オックスフォード大学で音楽史の講師となりました。
彼はベートーヴェンブルックナー、ドヴォジャーク、マーラーなどと同様、生涯で9曲の交響曲を残しましたが、特徴的なのは、その9曲の交響曲が作曲家人生の後半になってから書き始められた、という点です。大器晩成で知られるブルックナーですら、交響曲第1番を42歳の頃に書き上げていますが、ヴェレスの第1番は彼が60歳の頃、第二次世界大戦終結直後の時期に完成したものです。
もう一つの特徴としては、彼は交響曲において、ブルックナーが期せずして完成させられなかった交響曲第9番の3楽章構成(第1楽章−スケルツォアダージョ)を偏愛した、という点です。
現在ではブルックナーは9番を完成させる気が大いにあった、ということが研究により明らかになってきていますが、かつてはブルックナーの9番は第3楽章までで十分に音楽的に完成されている、ブルックナー自身もそのように感じていたためフィナーレの作曲の筆が進まず、結局第3楽章までで作曲を止めたのだ、などという根拠の薄弱ないささかロマン主義的な思い込みが信じられていました。(この、未完成ながら音楽的には十分完成されている、という意味不明な言い方は、かつてはシューベルトの未完成交響曲についてもよく言われたことでした。しかし、逆に2楽章制のベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタを聴き終えた弟子が、「フィナーレはないのですか?」と訊いたりする例もあったように、どこで終わりにするかは結局作曲者本人のみ決めることであり、他人や、まして後世の人間が根拠もなく勝手な憶測を言うべきではないでしょう。)
そしてヴェレスは、意図的にこのアダージョ、またはそれに類するゆっくりとしたテンポの楽章で曲を閉じる3楽章制を、1番と6〜9番という、全9曲中5曲の交響曲で採用したのです。
ヴェレスの交響曲は全て第二次世界大戦後に完成されたにもかかわらず、1番(1945-46)と2番(1947-48)は明確に後期ロマン派のスタイルを取っており、3番(1949-51)、4番(1951-53)で徐々に近代的に辛口になり、5番(1955-56)で調性感が極めて希薄となり、6番(1965)以降はほぼ無調音楽といってよいものになる、という、近代音楽の時流をおよそ40年遅れで追いかけるような様相を呈しています。
とはいえ、彼は単なる時代遅れ男という訳ではありません。1911年には「三つのスケッチpo.6」という無調のピアノ小品集を作曲しシェーンベルクに追随したり、その後はヒンデミット新即物主義に影響されたような曲を書いたりと、第二次大戦前のある時期までは彼も近代音楽の時流に何となく乗っかっていたのです。しかし、第二次大戦後はもはや最新の現代音楽の潮流には着いて行けず、そのためにかえって書きたいものを好きなように書いた、といったところでしょうか…。戦後の現代音楽がブレーズ、シュトックハウゼンといった1920年代生まれの世代を中心として発展を始めたことを考えれば、何も1885年生まれのヴェレスが無理してついてゆくこともなかったでしょう。

ヴェレスの交響曲のうち、後期ロマン派スタイルで書かれた1〜4番は、ブルックナーマーラーの影響が濃厚に現れています。もちろんこのブルックナーマーラーの影響は5番以降の交響曲でも潜在的に続いてゆくのですが、特に1〜4番では特にはっきりと感じられます。2番や3番の第一楽章で、金管群を中心とした厳めしい第一主題の後に、弦と木管群を中心とした歌謡的な第二主題がこれ見よがしに続く様には思わずニヤリとしてしまいます。
また、ゆっくりとした部分はマーラーの晩年の雰囲気と酷似しています。しかもどういう訳かクック版の10番と雰囲気が似ているのです。典型的な例は2番の第三楽章(アダージョ)ですが、他にも交響曲よりも前に書かれた管弦楽曲「プロスペローの魔法」(1933〜36)の終曲などが、よく似た雰囲気を持っています。根拠のない憶測ですが、ケンブリッジ出のクックが、マーラーの10番を補筆するに当たってオックスフォードで音楽学を教えていたヴェレスにオーケストレーションについてアドヴァイスを求めた、という可能性は十分に考えられるのではないでしょうか…?

さて、9曲あるヴェレスの交響曲のうち、私にとって(そしておそらく多くの人にとっても)最も感動的なのは、結局のところ一番最初に書かれた第1番です。尻上がりに良くなって最後が最も感動的というのがある意味理想ですから、最初が最も良いというのは少々残念な事です…。(勿論、2番以降の交響曲は聴く価値がない、などというつもりは毛頭ありません。2番、3番もなかなか魅力的ですし、後期の無調交響曲ではフィナーレでティンパニがドンドコ連打されて一瞬盛り上がる8番も聴き物です。)
1番は全体に重苦しい雰囲気に包まれていますが、終戦直後の1945年に書き始められ46年に完成という作曲時期から考えても、第二次世界大戦の生々しい記憶から影響を受けていると考えてもあながち間違いではないでしょう。すでに述べた通り、この曲もブルックナーの9番から影響を受けた、アダージョで終わる3楽章制ですが、ニ短調ではなくハ短調の第一楽章は、雄大極まりないコーダで圧倒的に曲を閉じるところが、やはりブルックナーの9番の第一楽章を思わせます。ブルックナーを不健全に腐らせたようなスケルツォの後に、戦争による死者たちを悼むかのような悲痛な響きのアダージョが始まります。最後にはマーラーの「大地の歌」の終盤と同様、静謐なハ長調に到達しますが、「大地の歌」よりも天上的で澄んだ雰囲気がします。

そして、よく聴くとここでは「大地の歌」と反対の事が行われているのです。「大地の歌」では独唱が「永遠に…」と歌いながらベートーヴェンの告別ソナタの冒頭(G-F)に由来するミ→レの長二度下降を繰り返し、これに対し管弦楽のなかの1声部はソ→ラと長二度上行して最終的に甘い憂いを持ったド−ミ−ソ−ラという付加六の和音で終わるのですが、ヴェレスの1番では主旋律がレ→ミという全く逆の長2度上行を繰り返し、微かに他の声部はラ→ソと下行して解決し、早春の弱々しい日差しのような透明なハ長調終結します。
大地の歌」で歌われている内容は、季節は秋、時刻は夕暮れ、明から暗、生から死という状況の中で告別を告げつつも、心の中では永遠の春を思う…
なわけですが、これに対し、ヴェレスの1番では、大戦の終結したヨーロッパには今確実に平和という名の春が訪れつつあり、新たな命の誕生もあり、亡命先での新たな出会いもある。しかし心の中には消え去ることのない深い傷と戦争の記憶が残っている…
なんて感じではないかなと勝手に想像しております。

さて、告別ソナタベートーヴェン)→大地の歌マーラー)→交響曲第9番マーラー)と続いてきたミ→レの長二度下行の告別音形に対するアンチテーゼ(?でもないか)で最初の交響曲を閉じたヴェレスでしたが、最後の交響曲である第9番では長二度下行を無調的に暗くした短二度下行(ミ→#レ)で静かに曲を閉じたのでした…