Radfahrers Nachtlied

ドイツの自転車競技選手・アンドレアス・クレーデンを中心とした自転車ロードレースと、極々たま~にクラシック音楽やその他のテーマに関する雑文

交響曲"HIROSHIMA"

ふと思い立って交響曲"HIROSHIMA"をyoutube聴いてみました。
第1番"HIROSHIMA"ではありません。第6番"HIROSHIMA"の方です。作曲者自身がヴィーン交響楽団を指揮した演奏です。
ちなみに、作曲者は亡くなってからまだ13年しか経っていませんから、これは著作権上違法なのかもしれませんのでリンクは貼りません(笑)。

作曲者の團伊玖磨は「花の街」とか「筑後川」とか「夕鶴」で大変有名なのですが、どういう訳か交響曲は滅多に演奏されません。クラシック音楽のコンサートに行くと入り口で大量のチラシの束を渡されますが、團伊玖磨交響曲のチラシを見ることは稀です…。モーツァルトとかベートーヴェンとかチャイコフスキーとか、既に歴史的、世界的巨匠による演奏の録音が沢山出回っているようなプログラムばかりですから、お金を払って時間を潰してまで聴きに行こうと言う気にはなかなかなりません。

言うまでもなく團伊玖磨の音楽は難解な前衛音楽ではなく、20世紀前半あたりの近代音楽までが理解できる人ならば問題なく理解できるものです。交響曲第6番"HIROSHIMA"もなかなか素晴らしい曲でした。
ところが、上に書いたように実演に接する機会は稀であり、また作曲者がヴィーン響を指揮したCDもHMVで検索するとヒットせず、Amazonでも中古品しかありません。

ところが、同じ題名の交響曲でも「作曲者が全聾(本当は厳密には全聾でなく中途失聴)」「ボイラー室に閉じ込められているような轟音の耳鳴りに始終苦しめられている」とかいう逸話(しかも捏造)がつくとCDが大量に売れて盛んに演奏される(予定だった)という不思議…

いや、新垣隆交響曲もなかなか良い曲だと感じましたが、團伊玖磨の6番だって良い曲ですよ。それでいてこの違いはなんなんだろうという、そういう不思議さですね。
まあ、それが商業主義・資本主義経済というものですから仕方ありませんが…